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ピースボート いのちが大切にされる社会をつくるために-前半-

ピースボートの始まりときっかけ

船内企画として行われたパネル講演です。企画タイトルは『いのちが大切にされる社会をつくるために、생명을 중요시하는 사회를 만들기위해、To build a just and equitable society、打造珍惜生命的社会』。備忘録として掲載してます。

Yaichi
1983年の9月2日にピースボートが始まりました。きっかけは、日本 の教科書と聞いています。日本では学校教育の教科書を文部省で検定しています。1983年当時、文部省が歴史教科書の検定を行った時、こういう文言がありました。「日本軍によるアジア侵略」その言葉を、「日本軍による アジア進出」に書き換えるという報道がなされました。その報道を聞いたときに、アジアの人たちが声を あげて、国際問題化しました。この報道を聞いた1980年当時の日本の大学生、のちのピースボートの創設メンバーが、 いまの日本だけでは知ることのできない事実があるのではないか、、あの時代どんなことがあったのだろう、自分たちで真実を知りたくなって、直接自分たちでアジアに行ってみよう、戦争のあった現場に訪れてみよう。当時の歴史の真実を知りたいということがきっかけで第1回目のピースボートの旅が始まりました。
Tam
当初は4人の大学生が始めました。直接行って、目で見て、目を見て話しをして聞かないとわからないことはたくさんある。帰ってきた若者たちは強くそれを実感したそうです。同時に、日本の中にいては、知 ることのできない過去の歴史はたくさんある。行って聞いて、その教科書が進出に書き換えられたということは、おかしいと実感して帰ってきました。そして、これをもっとたくさんの人に伝えたいなという思いから、本当は、大学生が夏休みの少し時間を使って1回で終わらせる予定だった旅でしたが、その後、2回目、3回目、3回目、4回目とずっと続いていくことになりました。ピースボートの1980年代は、クルーズの行った先のほとんどがアジア諸国になります。2週間から長くて3週間くらいの旅を行っていました。
Yaichi
第1回目のピースボートの航路は、13日間でした。第2次世界大戦で訪れた、硫黄島、グアム、サイパン辺りを中心に訪れています。
Tam
にほん丸という船で159名で行きました。
Tomy
皆さんも世界一周中に実際に訪れて初めて気づいたことが実体験としてあると思います。4人の大学生のうち、現職で働いているスタッフは1人です。吉岡達也(よしおかたつや)さんです。ピースボート出身者で有名になった人としては、 国会議員の辻元清美(ツジモトキヨミ)さんがいます。政界(政治の世界)に行かれた時点で、ピースボートは退職しています。現在のピースボート活動には関わり はありません。
(参考サイト https://www.kiyomi.gr.jp/info/15/)
ピースボートの第二回のコースは?
Yaichi
1984年9月2日に出発しています。上海、香港を周る航路でした。第2回クルーズで乗船された水先案内人(ピースボートの応援ゲスト)としては、日本では最も有名な漫画家の1人である、手塚治虫(テヅカオサム)さんです。手塚治虫さんは、元々アジアの人と交流したいという気持ちがありました。ピースボートの活動を組みとって、一緒に行きたいと来てくれたそうです。
(映像流れる)
Tam
南京大虐殺の場所まで行って、生存者の話を聞き、本船まで帰って来てから。

Yaichi
日中交流を開催しています。その名も『日中漫画大会』。中国の漫画家さんが描いた絵と手塚治虫さんが描いた絵。友好関係の証と2人の描いた絵が手を繋いでいる様子が受け取れます。鉄腕アトムと孫悟空のキャラクターが握手をしています。

Tomy
手塚治虫さんが水先案内人(ゲスト)として乗船されるにあたり、ピースボートのスタッフはかなり声をかけて、乗船していただいています。ピースボートクルーズでは、たくさんの水先案内人の方に乗船していただいています。ピースボートのスタッフの乗って欲しいという想いと、趣旨(国際交流)への賛同をしていただいて、ボランティア(ノーギャラ)で乗っていただいています。
Tam
1985年に第3回ピースボートを開催します。
80年代は、歴史が動いた時代でした。激動の時代に、ピースボートは船を出し始めました。水先案 内人として関わっていただいている、日本のルポライターの鎌田慧(かまたさとし)さん。初めてピースボートに関わって くださったのが、この第3回目のクルーズになります。それ以来、度々ピースボートにご乗船くださいます。その鎌田さんがよくおっしゃるのは、「ピースボートの船で旅をすることは、歴史的な瞬間に立ち会 うことが多い。歴史の中を航海する旅である」と話しくださいます。なぜ鎌田さんがこうい う言葉を使うかというと、第3回目のクルーズの時に、一つ大きな出会いがあったからです。そ れは『ボートピープル』との出会い、遭遇でした。このクルーズは、船で訪れる最後の寄港地が、ベトナムでした。ベ トナム戦争が終わった後、ピースボートは、ベトナムに行くようになりました。ベトナムで大交流をして、現地の人たちが戦争後なのに、暖かく向かい入れてくれて、身振り手振りで人と人との交流とい うのをして感動的なお別れをしました。最後の寄港地ベトナムを出航して、日本に帰る、帰り道に『ボートピープル』と遭遇したのです。もちろん自分たちが遭遇するとは思っていませんでした。ベトナムで交流した時には、交流すると同時に、ベトナム戦争がどんな戦争だったのかを学ぶコースもありました。そんな時に『ボートピープル(難民)』と出会い、なんとも言えない気持ちになったと思います。

Yaichi
ベトナム戦争終結後の10年後である1985年にベトナム沖で小舟に乗っていた『ボート ピープル(難民)』との遭遇です。乗員・乗客の人たちが見つけました。『ボートピープル(難民)』を乗員・乗客で引っ張り上げます。ベトナムにいるのも危険。小舟に乗っ て逃げるのも危険。危険を犯してまでも、逃げなければいけない状況化にあるということを現実にした出来事です。(ピースボートでボートピープルを引き上げた)当時はニュースになっりました。ひっぱりあげられて難民の人たちは、日本に着いた後、九州の療養所で休み、カナダに亡命したそう。

Tomy
戦争が終わって10年たった状況でも、こういった戦争被害を受ける方々がいる。戦争が終わって、時が経っても終わら ない、、、戦争の悲惨さを感じられます。

Tam
それからは、1989年にピースボートげ初めての日本一周クルーズを企画します。日本以外のアジア諸国を周るというのをテーマにやっていたピースボートが、なぜ日本一周をしようとやったかという と、1980年代に『チェルノブイリ原発発電所事故』があったからです。それをきっかけに関わっていたスタッフが、「日本一周をしよう!日本国内の原発あっちこっち見聞録というタイトルでやろう!」という話しで決まったそうです。『チェルノブイリの原発事故』があったことによって、 世界中に大きな衝撃が走ります。日本国内では、原発は安全でクリーンなエネルギーであると当時ニュー スや新聞でうたわれていました。あまりにもその事故 のことを自分たちが見ているニュースや新聞と現実がかけ離れている。原発ってなんなんだろう?と、単純に思ったと聞きます。そこで、自分たちの国内にある原子力発電所に行って原発の位置、地域、どんなところに作られているのか、原発って一体なんなんだろう ということを目で見て学ぼうということで、原発あちこち見聞録という、日本一周の旅を計画しました。その後も、アジアを中心としたクルーズが続く。
Yaichi
1980年代でもっとも大きなニュースが世界中を駆け巡りました。1989年のベルリンの壁の崩壊です。東西冷戦が終 了を迎えたことによって、世界の流れも一気に変わっていきました。

Tam
ベルリンの壁崩壊というニュースをきっかけとして、地球一 周の船旅をやろうと決めます。ピースボートに関わっていた当時のスタッフは、「一体世界では何が起こっているのだろう。もっと世界中のことを知りたい、自分たちで世界を見て見たい、ヨーロッパ、中南米、アメリカ、南太平洋諸国、自分たちの目で見て見たい」という想いがでてきました。
2000年代みたいに、インターネットで情報が入ってくる時代ではなかっ たので、「やっぱり行ってみないとわからないことってある」そう考えて、次に行くのは地球一周だということで、企画したのです。
Yaichi
ピースボート初の世界一周(地球一周)航路のスタート地点は地中海のギリシャからです。乗船する参加者も日本のみなさんが中心なので、一旦飛行機で日本からギリシャ まで行ってもらいます。そして、ギリシャの港から船が出港して世界一周(地球一周)をスタートさせます。船で寄稿する港の中には、広島、長崎も航路として入っていました。そして世界一周の最後の寄港地は スタートした地中海のギリシャになります。世界一周中には、現代の教科書に載っているようなニュースとも遭遇します。それは『湾岸戦争』が中東で開戦しました。インターネットがなかった当時ですが、ピースボートの船内でも情報シェアされました。そうして過ごす、ピースボー ト第10回クルーズの洋上生活のある日、ピースボートが『湾岸戦争』に向かう軍艦とすれ違います、そして、戦闘機に遭遇もしました。この時に、色んな国々の人と交流してきて各国の人々が考える平和。交流の大切さ、戦争の悲惨さを知ったピースボート参加者の有志は戦争(人が人を殺し合うこと)に対して反対の旗を作って、掲げたと聞きます。

Tam
ボートピープルと遭遇したという話もありました。鎌田彗(かまたさとし)さんもその様子を見て、「まさに歴史の中を航海する旅である」とおっしゃいましたが、この『湾岸戦争』という出来事も同じように、歴史と自分が直面し遭遇するというシーンだったと思います。 そして、第16回目のクルーズで、いよいよ日本発着の地球一周の船旅を行います。最初の地球一周クルーズは、ギリシャ発着でした。「もっと多くの人に世界を自分の目で見てきて欲しい」という気持ちがありました。「世界一周ギリシャ 発着って敷居(しきい)が高いよな」、「そこまで荷物を全部持っていかなければならない」、「帰り道も全部持って帰 らなければならないのは大変だな~」そこで実行したのが、日本発着(横浜港、神戸港)にしてしまおう。という計画が立ち上がりました。日本発着の世界一周を企画したのは、日本で初めてのことだったのです。「今の日本で100日間も超える長期の旅っていうのに参加できる人なんているわけない」と、色んな人に反対されてきたそうです。一緒 に企画しようとパートナーになってくれる旅行会社を探しても、「そんな旅行は日本では無理ですよ。」と 断られ、色んなところに話をし交渉し、やっと協力してもらうところを見つけてなんとか、日本の団体として戦後初の世界一周クルーズを実現しました。初の世界一周を実現する時期に、ピースボートのことをすごく応援してくださる若手新聞記者さんがこのピースボート、日本発着の地球一周をやるぞ。という ことを、(ばーんと)新聞に掲載してくださったと聞いています。新聞記事には、事務所の電話番号まで書いてあって、翌日か ら、電話問い合わせがすごくあって、あっという間に満席になったらしいです。(余談:ある時までバーンと載せてくれたんだよ。と いう風に吉岡達也から聞いていましたが、何年か前に、そのバーンっていう記事を見たらすごく小さかった。。。笑)満席になったものだから、ここからさらに何かし出すのがピースボートでした。「じゃあ、もう一隻借りよう」ってなりました。普通一隻で、日本国内じゃ絶対無理って言われていたと ころをなんとかやって新聞に載って満席になったからって、じゃあもう一隻借りよとなるところが面白いんですよね。二隻目もちゃんと満席になり、二隻同時の世界一周の船旅を出港させました。同時といっても、2席の船は2週間ほどの期間を空けて空いて出港しました。一隻目の世界一周船が出港して、2週間くらい空いてから、2隻目が出港しました。コースは同じです。世界各国の現地で迎えてくれる人たちも、「一隻目がきた!ようこそ~、二隻目もきた~!!」って歓迎してくれました。これもこれでおもしろかった そうです。今とは違って世界が遠い存在でしたので、熱狂的な歓迎ぶりだったそうです。それにしてもすごい行動力と、やる気ですよね。
Yaichi
1994年の第16回クルーズの後から、ピースボートは日本発着の世界一周クルーズを毎年のように 行うようになりました。年に一回くらいやっていくようになります。2000年から、一隻の船をチャーター して、1年間に3回世界一周をやっていく世界一周プロジェクトを行うようになりました。地球のどこかにピースボートの船が動いて いるという状況を作り上げていきます。そしてここであったのが、いつかは日本からだけではなくて、アジア地域や、ヨーロッパ、世界中の人たちが、船に自由に乗り降りして共に旅するということを夢見るようになっていきました。船の中で自然と国際交流を行う場をピースボートでできないかを考えます。
Tam
振り返ると、アジア→初の地球一周→1年に3回の地球一周するようになっていきます。、そしてアジアの人たち、世界中の人たちが乗れる船を夢見て進んできました。2007年からやっている、日韓共催のクルーズがあります。『ピースアンドグリーンボート』という名称でやっています。韓国の『環境財団』という国際NGOとの出会いがあって、『ピースアンドグリーンボート』クルーズを始めることになりました。乗船者は韓国の皆さんが半分(500名)、日本の皆さんが半分(500名)、という日韓の市民が一緒に船に乗り合わせて、 10日間ほどアジア地域を回っていこうという旅になります。東アジアという地域の持続可能で平和な社会を目指して、ともに交流し、語り学び合う旅として、年に1度のペースでやっていました。非常に大切な学びとが多い旅だということで続けているプロジェクトです。いまのピースボートには、各国からの参加者が乗船されています。ピースアンドグリーンボートから学び、得たものは、かなり生かされています。

Tomy
各国の方々(シンガポール、大陸、台湾、タイ、米国など)に、乗っていただけるようになったのも、このピー スアンドグリーンボートとの繋がりとノウハウができていたからだと思います。世界との繋がりが少しず つできてきたのもあって、最初の世界一周の時の夢、世界中のひとが乗ってくるような船にしたいという方針が一歩ずつ実現に向かっているような感じがします。

 

Yaichi
そして、様々な場所で『交流』していくというのがピースボートの根幹にはあります。プロ ジェクトもたくさんやってきましたが、その中のひとつに『おりづるプロジェクト』というのがあります。2008年から被爆者 を乗せた世界一周のクルーズを行なっています。世界中のNGOが協力して、『I can(アイキャン)』を設立しました。ピー スボートは『I can(アイキャン)』の国際運営団体の一つとなって活動を続けてきました。『I can(アイキャン)』としてノーベル平和賞を受賞しています。

ピースボートいのちが大切される社会-後半-

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